The History of Founder Shiro Arimoto


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1896(明治29)年 当歳

6月27日、尾道市土堂町本宅にて出生

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1897(明治30)年 2歳

7月22日、父益太郎病死

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1898(明治31)年 3歳

母の手許を離れ叔母ミネに引取られる

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1900(明治33)年 5歳

土堂町の本宅を引き払い栗原村祖父の新邸に引っ越す

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1902(明治35)年 7歳

祖父周二郎病死

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1903(明治36)年 8歳

4月、尾道尋常小学校入学

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1908(明治41)年 13歳

阪商工学校創立、(大阪市北区桜の宮町)するが友人に譲る。

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1909(明治42)年 14歳

長兄逸郎が尾道商業学校卒業後、大阪市水道課に勤務。次兄三郎が福山中学校に入学。12月、西城町に移り、西城尋常高等小学校高等1年次に編入学

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1911(明治44)年 16歳

2月、西城町叔母宅を出る。小学校退学。西宮市の叔父宅に向かう

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1912(明治45(大正元))年 17歳

大阪の辻内家に住み込みの後、メリヤス商(繊維製品商店)に奉公。その後閉店のため、西宮に帰り、更に広島の叔母宅に向かう

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1913(大正2)年 18歳

広島で瀬川商店に雇われ毎日勤務する。夜間学校に通う

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1914(大正3)年 19歳

9月、叔母留守中に広島を出て大阪に向かう。音信不通

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1915(大正4)年 20歳

桃山中学校第4年次に編入学

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1916(大正5)年 21歳

初めて次兄三郎に連絡し救済を求める。当時、三郎は大阪高等工業学校卒業後、母校に教授として就職していたため、兄弟で同居する

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1917(大正6)年 22歳

チフスに罹患し、桃山中学校自然退学。三郎は播磨造船所(現株式会社IHI)に転職

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1918(大正7)年 23歳

輜重兵として岡山連隊にて1年間兵役に服する

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1919(大正8)年 24歳

7月、第七高等学校造士館の理科甲類入学。これより前に中学卒業検定試験を受け合格する

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1922(大正11)年 27歳

3月、第七高等学校理科甲類卒業。4月、東京帝国大学工学部機械工学科入学。7月より大正15年3月までの間、尾道市栗村財団より奨学金給付を受ける

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1923(大正12)年 28歳

1月13日、祖母モト病死

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1925(大正14)年 30歳

3月、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、三菱商事株式会社に入社するが間もなく退社。4月、東京帝国大学経済学部3年次に入学。結婚し新たな家庭を築く。この年に高等文官試験(現国家公務員総合職試験)を受けるが途中疲労の為、昏倒

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1926(大正15(昭和元))年 31歳

3月、東京帝国大学経済学部卒業。4月、東京帝国大学大学院に入学。一方で友人の平野氏と大阪に商工学校を設立し経営する。長女美智子誕生

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1927(昭和2)年 32歳

大阪商工学校を残らず平野氏に譲り、東京に高等工商学校を創設し、7月に設立認可を受ける

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1928(昭和3)年 33歳

3月、東京帝国大学大学院修了。4月、東京帝国大学法学部政治科入学

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1929(昭和4)年 34歳

1月8日、母ヨネ病死、享年61歳。3月、附属工科学校設立認可を受ける

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1931(昭和6)年 36歳

3月、東京帝国大学法学部政治科卒業

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1933(昭和8)年 38歳

大阪商工学校の後始末に責任を問われる事件があったが、この年に法律に従って解決。日本大学校商科に入学

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1934(昭和9)年 39歳

日本大学校商科卒業。日大商学士となる。4月、日本大学文科に入学

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1935(昭和10)年 40歳

日本大学校文科卒業。日大文学士となる。

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1936(昭和11)年 41歳

一善会相談役となる。5月、アメリカ合衆国イリノイ州マッキンリー・ルーズベルト大学校に2論文提出

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1937(昭和12)年 42歳

4月16日、アメリカ合衆国マッキンリー・ルーズベルト大学校より文学博士の称号、6月8日、工学博士の称号を送られる。9月、津山市長就任。10月、辞職

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1938(昭和13)年 43歳

5月30日、永眠。6月2日学校葬

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1939(昭和14)年

1月25日、胸像除幕式挙行。池上本門寺墓地工事落成。5月28日、法要並びに墓前祭を執り行う

※この年譜は有元史郎死去2年後の昭和15年に発行された『有元史郎傳記』に記載されている年譜を当時の表現を尊重しつつ現代語に意訳したものです。